謎の奇病が蔓延し、崩壊していく世界の中で、少年と少女が目指す先は──。
世界設定は限りなくシリアス……ですが、ストーリー展開はとても微笑ましく明るい内容です。
タイトル | 旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。 |
著者 | 萬屋直人 |
イラストレーター | 方密 |
レーベル | 電撃文庫 |
初版発行 | 2008年3月25日 |
人名が一切登場しない、異色の旅物語
この作品に、人の名前は1つたりとも出てきません。主人公である少年は「少年」と呼ばれ、ヒロインは「少女」と呼ばれます。どんなラブコメシーンだろうが、鬼気迫るシーンだろうが、少年は少女を「少女」と言い、少女は少年のことを「少年」と呼びかけます。
たとえば、少年が目の前の田園風景に感動しているシーン。旅の疲れと空腹と暑さで少女がぶっ倒れたとき、少年はこんな風に叫びます。
「すご……ねえ少女。……少女? うわっ! 少女! 大丈夫!?」とこんなふうに、決して固有名詞を口にしません。
旅の途中でも多種多様な人たちと出会いますが、彼らの名前も一言たりとも呼びません。取締役、秘書、ボス、先生、姫のような一般名詞で呼び合います。
名前のない世界観なのか。いいえ、そうではありません。
この作品の登場人物たちは、自分自身の名前すら、思い出せないのです。
世界にはびこる原因不明の病
医学界やマスコミさえ、この奇怪な病気に名前を付けられなかった。けっきょくどこの誰かが言った「喪失症」、という当たり障りのないもので世間に浸透していった。
喪失症は、いつだれでもなりうる病気であり、発症理由も治す方法もありません。
病におかされた者は、まず名前を失います。自身が名前を忘れてしまうのはもちろん、他人からもわからなくなり、名刺や学生証に印字された文字すら消滅します。
次に顔が消えます。
写真だろうが絵画だろうが、その人とわかりうるあらゆる媒体から顔が消えうせます。
次に色をうしない、影からも見放され……。
最後はその存在自体が、この世から、煙のように消失してしまうのです。

恐ろしいな。
原理不明のこの恐ろしい喪失症に、主人公とヒロインも蝕まれているのです。
微笑ましいキャラクターたち
この作品は陰鬱なストーリーではありません。
むしろ、そんな病気をはねのけようと、明日の希望を見失わない元気な2人組の物語です。2人はスーパーカブに乗り、学校を飛び出して旅に出ます。
少女はなかなか図太く、また嫉妬深い性格をしています。
空腹の中、取締役からトマトを恵んでもらうシーン。すぐ近くにはトウモロコシ畑が広がっています。そこで少女は、こう自己紹介しました。
「私は少女。好きな食べ物は一時的にトマトです。もうしばらくしたらトウモロコシが好きになる予定です」

いい性格してる。
また少年と姫がいい感じに話していると「ラブコメを阻止せねば……」と憤慨したりもします。
少年は細身ですが、芯の強い男です。
病気で動けなくなってしまった少女を支えながら、豪雨の中、スーパーカブで突き進んだりします。また旅の途中、希望を失った人たちにはっぱをかけたりもします。
そんな2人が、ときに笑いながら、ときに悲しい別れを経験しながらひたすら世界の果てに向かって旅をするストーリーです。
世界の果てとは、あるはずのない場所。そこを目指すということは、つまり永遠にたどり着かないということです。
2人がどんな気持ちで世界の果てを目指しているのか。ぜひこの本を読んで、考えてみてはいかがでしょうか。
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